ホテルから徒歩で石手寺を目指した。途中で道に迷ってしまい、通りかかった愛媛県警の若い巡査に道を尋ねた。とても丁寧に道順を教えていただき無事に石手寺にたどり着くことができた。
石手寺は真言宗豊山派の寺院である。号は熊野山虚空蔵院、本尊は薬師如来、四国八十八箇所霊場の第五十一番札所であり、山門(二王門)は国宝に指定されている。加えて三重塔、訶梨帝母天堂、鐘楼、護摩堂と四つの重要文化財を含む堂々たる伽藍である。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/7.1 1/80 ISO500 絞り優先AE
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長い回廊から石畳を抜けて、国宝の二王門をくぐり三重塔を見上げた…と書けば、たかだか30文字ほどの行程であるが、木目のひとつひとつを記憶するかのように、ゆっくり時間をかけて歩をすすめた。
平日にもかかわらず、境内には多くの参拝客がいた。お遍路さんと思しき人も何人か見つけた。急ぐことのない旅の心地よさは格別である。このままこの場所で夕刻まで時を刻めばいい。境内の神聖な空気を思い切り吸い込んで、立ち止まったままの私は、ようやく次の一歩を踏み出した。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/60 ISO800 絞り優先AE
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本尊真言は、おん ころころ せんだりまとうぎ そわか…例にもれず開基は行基である。開基から八十四年後、空海がこの地を訪れ真言宗に改めたという。行基も空海も、その名を知らぬ人は少なかろう。堂々たるキャストによる、1,300年の歴史を持つ古刹である。
境内をうろうろしながら、いったい何度シャッターを切っただろうか。普段、まったく宗教と縁のない私だが、妙に神妙な心持ちになるのが不思議だった。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/7.1 1/80 ISO100 EV -0.7 絞り優先AE
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帰り道、長い回廊の脇にある店々を眺めながら、かつて鑑賞した昭和30年代の小津映画の数々を不意に想起した。おそらくここは、あの時代と何も変わっていないのだろう。むろん、風景に色はついていたはずである。しかし、私の記憶の中には、あの頃の小津映画と同様のモノクロームとして刻まれた。
「さて、今日の夕餉は何にしようか…」
昨晩は、かんぱちの造りに鯛皮ポン酢、じゃこ天と地うに、真鯛のあら煮をあてにしこたま呑んだ。妻もけっこういける口なので、旅における夕餉は二人にとって、それなりに重要なポイントとなっている。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/5.6 1/40 ISO800 絞り優先AE
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翌朝、チェックアウト時間ぎりぎりにホテルを後にし、道後温泉駅から路面電車でJR松山駅を目指した。旅程はいつもあっという間に終わりを迎える。しかし、脳裏に焼き付けられたさまざまな風景や出来事の記憶は半ば永遠である。
伊予松山の旅は終わろうとしている。しかし、旅とは、何もどこかへ出かけることだけを指すものではない。年月を経ることもひとつの旅にちがいなかろう。つまり、人は皆、日々旅をしているのである。
松尾芭蕉は言う…
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。
こうして私は、ひとつの旅を終えて、また新たな旅へと一歩を踏み出すのである。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/80 ISO200 絞り優先AE
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