HOME>>記憶の中の旅の記>> その01 …… 伊予松山 (2012年11月)


 2012年11月20日、呉港を後にしたフェリーは、湖面のような瀬戸内海をゆっくりと南に向かう。伊予松山へは何度も足を運んだが、このときのようなのんびりとした旅は初めてだった。何よりも寝所を移動することなく、同じ宿に連泊するというプランは、身体にとってはもちろんだが、こころにも大きな余裕を与えてくれる。

 観光は伊予松山城と、四国八十八ヶ所五十一番札所、石手寺のふたつと決めている。あとは道後の温泉にのんびりとつかって、温泉街を散策するくらいのことである。確か温泉街には砥部焼の専門店があった筈なので、そこでゆっくりと風情豊かな焼き物群を眺めてもいいだろう。

 喧騒というほどではないにせよ、日々の営みは少なからず私の肉体と精神を蝕んでいく。その蝕まれた肉体と精神に対して、もっとも有効な薬が旅である。

撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/2000 ISO100 絞り優先AE

 

 昼前に広島市内の自宅を出発して、JR呉線で呉駅を目指し、呉港からフェリーに乗船した。
 フェリーの客室には昭和の香りがほどよく漂っており、売店に並ぶスナック菓子やカップ麺の多くは、昭和時代からのロングセラー商品だった。それらの商品群は船内に作りつけられた古びた売店の陳列棚に並べられているのである。売店のカーテンはまだ閉まっていた。にもかかわらず私は、感傷的になるには十分な懐かしさにこころを踊らされ、上機嫌でいくつかのスナック菓子とチョコレートを購入することに決めていた。

撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/2000 ISO100 絞り優先AE

 
 売店には食堂スペースも併設されていた。呉港を出てしばらくすると閉められていたカーテンが開き、乗船時に切符を回収していた若い女性職員が、制服の上にエプロンを着用して現れた。何故だろう、私は一瞬怖気づいてしまったが、すぐに気を取り直していくつかのスナック菓子とチョコレートを買った。
 席に戻ったとたん妻が怪訝そうな顔で
「一番乗りじゃね」
と、遠回しに私の行動を揶揄したが、聞こえないふりをして今買ってきたばかりのチョコレートを開封して頬張り
「食べる?」
と云って妻にすすめた。

撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/100 ISO160 絞り優先AE


 松山観光港からしばらく歩くと、松山方面への始発駅となる高浜駅の駅舎が見えてきた。
 そのとき、これまで感じたことのないほどの既視感に戸惑いを覚えた。駅の改札へとつづく通路をゆっくりと歩きながら、これはタイムトンネルだと確信した。かつて、あちこちで見かけた旧い木造の駅舎、どれだけの時間を経ようとも身じろぎひとつせずに、誇り高さを決して失わない空間がそこには存在した。通路を通り抜けて振り返った私はしばらくの間、その場所に立ち尽くしたまま、ぼんやりと過去を眺めていた。

撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/100 ISO100 EV -0.7 絞り優先AE


  しばらくそうしているうちに、電車の発車時刻が迫ってきた。駅舎内で切符を購入し、急ぎ足で改札を通り抜け、ホームへと向かった。そして、そこでまた忘れかけていた旅愁あふれる風景に包まれることとなった。
 これまでも何度か伊予松山を訪ねてきた私だが、車を利用せずにやってきたのは今回が初めてのことだった。そのせいで見過ごしつづけていた風景が、たった今、眼前を覆っている…。さまざまな感慨を頭の中で交差させながら、私は軽やかな気分で電車に乗り込んだ。

撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/200 ISO100 絞り優先AE


※ホームのプレートに「はりがうら」とあるのは、当日、たまたま福山雅治主演の映画「真夏の方程式」のロケがおこなわれていたかららしい。そういえば物々しい照明設備が、駅周辺に駐車したトラックに積まれていた

 


つづく

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