山野辺の小径では排水溝に溜まった落ち葉でさえ撮影の対象になる。木の根元やセメントは苔むし、幼かった頃を過ごした町の光景を思い出させる。刻々と夕闇が迫る中、私は塔の岡に向かった。塔の岡は厳島合戦の折り、陶晴賢が陣を構えた場所であり、現在、五重の塔や千畳閣がある辺りである。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/320 ISO100 絞り優先AE
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この日は、桜の葉にとことんこだわってしまったようだ。たしかに赤い斜光に透ける桜の葉はとても美しい。この日の私が桜の葉ばかり撮影してしまったことは、今、こうして写真を眺めているとよく理解できる。柔らかい斜光ほど、人のこころを和ませるものはなかろう。その意味で、この日の宮島は、きっとうってつけだったのである。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/5.6 1/100 ISO100 絞り優先AE
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枝から放たれ、風によって格子戸にとらわれた1枚の桜の葉……、そんな偶然に出くわしシャッターを切る。あと1時間早ければ、この葉はこの場所になかったかもしれない。あるいは、あと1時間遅ければ、この葉はこの場所を去っていたかもしれない。そんな刹那に出くわすことが写真を趣味にする人間の喜びなのだと納得した。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/60 ISO320 絞り優先AE
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塔の岡から石段を下りて、土産物店が並ぶ参道に向かう。日除けの折り畳みテントさえも赤味を帯びていた。
「今日の旅は上出来だ」
いや、宮島を訪れる旅はいつも上出来である。どんな季節、どんな天候であろうと上出来な旅を用意してくれる。それがこの島……安芸の宮島である。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/100 ISO100 EV -0.7 絞り優先AE
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「赤にこだわる」
と言いながらも、この銀杏の黄色はどうしても見逃せなかった。
鐘つけば銀杏散るなり建長寺
と、詠んだのは夏目漱石である。実はこの漱石の句が、正岡子規の
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
という有名な句の下敷きになっている。
子規の句が発表されたのは明治28年(1895)11月8日「海南新聞」であり、漱石の句が発表されたのは、それに先立つこと2か月、明治28年(1895)9月6日「海南新聞」である。にもかかわらず、漱石の句はあまり世に知られておらず、一方、子規の句は日本人なら誰でも知っている一句となった。彼ら二人の関係性を考えれば面白い話だと思う。おそらく漱石は子規の句をおおいに笑い飛ばしたことだろう。
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撮影機種:OLYMPUS E-3 f/4 1/200 ISO100 絞り優先AE
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